1893年ローズ(19歳)が、絵の勉強にニューヨークに出発すると、間もなくパパオニールは、またもや新天地を求めて旅立ちます。この時代、未開の土地は入植した者の土地として認められました。パパオニールの気にいった新天地は、人々を寄せつけない森、ミズーリ州のオーザックマウンテンでした。深い森の中、他人が訪れることのないこの土地は、静かに暮らしたいと願っていた彼にとってまさに理想郷であったのです。パパオニールはそこに2軒の小さな丸太小屋を買い、家族を迎えました。
この頃オニール家の家族は、7人になっていました。クレジントン大学の奨学生であった長男のヒューも帰郷し、ハーバード大学に入学する準備をしていましたが、この新しい士地で彼の助けが必要であることを理解し進学を断念、小屋の修理や家具づくりに働きました。家族は今までの町風の洋服から農着に着替え、女性は陽除け用のボンネットをかぶり、家族全員が力を合わせ新しい生活を切り開いていきます。この小さな家のあらゆるところ、ベッドの中、屋根の板の下には本がびっしりと詰め込まれ、山積みにされものにはカバーがかけられソファーになっていました。(注・パバオニールは本屋であったが、特に芸術関係の本が主であった。開拓地の人々にはまだまだこのタイプの本を読むゆとりはなかった)オーザック地方の人々にとってオニール家の人々は町からきた教養ある人々でした。ある少年が遠くからこの珍しい家族と本を盗み見するためにわざわざやってきて本を数えたところ、余りに高く積まれていたため、1000で止めてしまったという話が残っています。
ニューヨークでの3年の勉強を終え、ローズは初めてオーザックを訪れます。パパオニールと妹たちは、馬車でスプリングフィールドの鉄道の駅まで迎えにきました。森や川をこえ小道を通り、スプリングフィールドからオーザックヘは馬車で2日余りの旅です。(注・現在スプリングフィールドからオーザックヘは広々とした道路が通り、車でわずか30分)新しい土地、新しい家に向かうローズの心は、不安と恐れが入り交じっていましたが、すぐにそれは歓喜に変わり新天地の魅力に巻き込まれてしまいました。初めての大都会ニューヨークでの暮らしに疲れたローズの心をいやす平和がこのオーザックにみちみちていました。植物の葉、木々のうごき、くもの巣でさえローズを夢中にさせ、インスピレーションを与え創造力をかき立てます。後にローズは次のように述べています。”オ-ザックの低木の茂みのくもの巣でさえ、世俗のくもの巣とは異なっている。毎朝彼らは紫に輝く真珠の露で編み込まれたうすい布のような銀色のレースのカバーをかける…”
すっかりオーザックのとりこになったローズは、出版社のイラストをここで描きニューヨークに郵便で送ることにします。郵便を出すためには家から5キロも離れた郵便局に行く必要がありましたが、配達便は、郵便配達人によって家の裏の谷のふもとまで運ばれます。そこには家族が「妖精の木」と名付けた木があり、郵便配達人はそこに小包や郵便物を積んでいってくれました。家のそばには小さな美しい小川が流れ、ローズ家の人々は家のある地域を「ボニーブルック」と名づけます。(つづく)
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