最愛の母ミミーと弟ジェイミー、2つの墓のそばで、ローズは静かに目をとじました。野生のスイカズラの香りが広がりました。オーザックの森が、時と共にその姿を変えていくように、ローズの回りも大きく変わっていました。支えてくれた友人達もほとんどが亡くなり、離婚後も友人として何かと援助してくれたハリーレオンウィルソンもすでに他界していました。そればかりか、ローズが彼の死を知ったのはついこの間のことでした。しかし、ローズは嘆き悲しんでばかりはいられませんでした。彼女を頼りにする弟妹たちがいました。ミミーの死後、ローズはカラバスやコネティカットの別荘などすべてを片付け、ここボ二-ブルックに完全に生活を移す決心をしました。ロンドン、パリ、ウィーン、ローマ、ニューヨーク、あらゆるところを旅し、滞在したローズが最後に選んだ場所は、ボニーブルックでした。「わたしは、地球上のどこよりもボニーブルックを愛しています。ここでわたしは、最愛のキューピーを誕生させました。ここオーザックの丘のふもとでわたしは暮らし、そして最後をむかえたい」とローズは語っています。新聞は、ローズが引退したと書きたてました。が、ローズにとって引退という言葉は、ありませんでした。何よりもローズは創作することを愛していました。そして、生活のためにも…。
ローズがボニーブルックに帰ってきたことを知ったオーザックの学校の先生や生徒は、ローズに関心を寄せ、講演を依頼してきました。講演後、口-ズは感謝の気持ちとして、学校での展示のために数多くの作品を無料で貸し出しました。
ローズの講演から60年以上もたった現代でも、このオーザック地方には、講演するローズをご覧になった記憶のある方が、今もわずかですがご存命であると伺っています。