Woman’s Home Companion 1912年10月号 カットアウトページ(カラー)
さて、ここに1912年の10月号をお見せしましょう。そうですキューピーのカットアウト(紙きせかえ)が登場しました。最初は女の子ドゥティダーリングとあかちゃん(弟)、そしてワッグが印刷されてあります。なんとフルカラー!おまけに表と裏の両方が印刷されていて、表と裏をカットし、いっしょにはりつけられるようにできています。それぞれの人形の足の上には前に折ることのできるタイトル付です。このカットアウトがいかに画期的なものであったか、ローズは述べています。「前だけでなく後ろ姿もある、こんな紙きせかえは、世界ではじめて!」 実はローズは、これを発表するまで裏付のカットアウトは、世界で初めてであることを知りませんでした。そして、それを知り大変驚いたと言われています。さらにこの号の雑誌の表紙に注目してください。赤ちゃんの後ろ姿が画面いっぱいに強烈なインパクトをあたえています。 この表紙は、「裏面のあるキューピーカットアウトが掲載されているのは、この雑誌ですよ!」と読者にアピールしています。もちろんカットアウトは大評判。本の上でしか見られなかったキューピーたちが、子供たち自身の手で実際に遊べるからです。このシリーズはなんと約1年半もの間続きました。
しかしキューピーを本当に手にいれたいと願う手供たちの思いはカットアウトだけではおさまりませんでした。いいえカットアウトがもっと気持ちを高めたといえるでしょう。
キューピーのブームがグングンと大きくなりはじめた頃からローズのもとに世界中の子供たちからたくさんの手紙がくるようになりました。ニュージーランド、ニューメキシコ、ノルウェイ、カナダ、もちろんアメリカの手供たちから、「本当のキューピーがほしい」「キューピーのにんぎょうをつくって」と。 その頃、ちょうどローズのもとにアメリカとヨーロッパの会社からローズオニールのキューピーイラストをモデルにした人形をつくらせてほしいという申しこみが舞い込んでいました。ローズはしばらくそれについて考えました。友人や家族に相談しました。ローズには2つの選択肢がありました。ひとつは、キュ―ピーの人形をつくる権利を売る方法。これはローズに莫大なお金をもたらすことになります。もうひとつは、工場にキューピーの人形をつくることを許可し、販売に応じて支払いを受ける方法。この方法は収入が保証されません。
妹のカリスタが言いました。「もしキュ-ピーの人形をつくる権利を手放したら、もうキューピー人形の製作についてコントロールできなくなる。キューピーのイメージとちがう悪い人形ができてもなんにも言えなくなるわ」これは的を得たアドバイスでした。すでにローズはイラストの成功で十分すぎる収入を得ていましたし、雑誌だけでなくたくさんの会社の広告用のキューピーのイラストも手がけていました。お金よりいいキューピー人形をつくる道を選びたい、ローズの方向は決まりました。 現在、優れたアンティークドールとして世界的に高い評価をうけるローズオニールのビスクキューピー。もしこの時の選択が異なっていたならば、世紀を越えたキャラクター人形は誕生していなかったでしょう。 いよいよドイツの人形工場でビスクキューピー人形の型づくりが始まりました。しかし、ローズがイメージするキューピー人形の誕生までには越えなくてはならない多くの問題が横たわっていました。
Woman’s Home Companion 1912年10月号 表紙