1942年、アメリカ、セントルイスのストアがこのHo-Hoを発売したいと申し入れ、またキューピーを製造していたニューヨークのボークフェルト社もHo-Hoを製造したいと申し出てきました。彼らは、Ho-Hoの横にろうそくをつけることを考えつきました。
現代、もしあなたが当時のHo-Hoを見つけることができれば、その底をご覧になってください。ローズと妹のカリスタが自ら手がけたHo-Hoには、"Bonnie brook″という文字が刻印されています。さて、私達日本人にとって気になることは、笑う仏様を創作したローズが日本を訪問したことがあったかということです。中国を訪問したことがあ
ったと言われていますが、残念ながら日本訪問の資料は、現在まで発見されていません。しかし、ヨーロッパやアメリカのジャポニスム文化全盛の時代に、若き日を過ごしたローズは、日本の文化に対する何かしらの知識を得ていたことは確かと考えられます。それを物語る資料として、ローズが手がけた鉄道の広告をご紹介します。
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