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ローズオニール物語
 
 
Web連載 ローズオニール物語 第23話
笑う仏陀 Ho-Hoの誕生
  キューピーイラスト
 

新しい奇跡は、ローズに永遠のキャラクター、キューピーを誕生させた同じアトリエで起こりました。ローズが再び夢みたものは、後にHo-Hoと呼ばれる小さな笑う仏様でした。東洋風の瞑想のポーズに、かわいくふっくらとしたひざの上には小さなぽっちゃりとした手が広げられ、頭はとんがっており、お顔には温かな微笑みがあふれていました。その微笑は、ちょうどキューピーの微笑みが他のどんな笑いとも異なるように、他の笑いとは全く異なるものでした。そこには、何か不思議な感覚が存在していました。

愉快で、引き込まれるような、年齢を重ねることによって生まれる愛嬌がありました。ローズは、このアイディアを数年あたためてきました。Ho-Hoについてローズは次のように語っています。「年々、世界から笑いがなくなっています。笑いは、私の心の中でより重要になっています。見ている人を笑わせることは、次の笑いを生み出していく。親切が次の親切を生みだすように。笑いは、人間の破壊に対する最後の砦なのです。」 Ho-Hoが誕生した1940年、それは世界中が泥沼の戦争へと突っ走っていった時代でした。ローズの平和への願い、笑いをなくしていく人類への警告がこの笑う仏様にこめられています。

  晩年のローズオニール
  ローズオニールとHo-Ho達 ボニーブルックの庭にて
 

1942年、アメリカ、セントルイスのストアがこのHo-Hoを発売したいと申し入れ、またキューピーを製造していたニューヨークのボークフェルト社もHo-Hoを製造したいと申し出てきました。彼らは、Ho-Hoの横にろうそくをつけることを考えつきました。

現代、もしあなたが当時のHo-Hoを見つけることができれば、その底をご覧になってください。ローズと妹のカリスタが自ら手がけたHo-Hoには、"Bonnie brook″という文字が刻印されています。さて、私達日本人にとって気になることは、笑う仏様を創作したローズが日本を訪問したことがあったかということです。中国を訪問したことがあ ったと言われていますが、残念ながら日本訪問の資料は、現在まで発見されていません。しかし、ヨーロッパやアメリカのジャポニスム文化全盛の時代に、若き日を過ごしたローズは、日本の文化に対する何かしらの知識を得ていたことは確かと考えられます。それを物語る資料として、ローズが手がけた鉄道の広告をご紹介します。

  再建された ボニーブルック ローズオニールの家
  ローズがイラストを手掛けたロックアイランド鉄道の広告
 着物姿に日傘をさした日本女性 (1905-1911)
   
  (つづく)
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