雑誌社からローズに自伝をかいてみないかという話があり、ローズは少しずつ執筆を始めていました。また、旧友を訪ね、アメリカ各地を旅行することもありました。ローズを心臓の発作が襲ったのは、1941年、ニューメキシコのサンタフェの友人を訪問した折りの事です。到着した日の夕方、バスルームで発作を起したローズは、そのまま昏睡状態におちいってしまいました。幸い、数日で回復し、ローズはボニーブルックへもどりましが、この出来事はローズに人生の終焉が近いことを感じさせ、ローズは自伝の完成を急ぎました。
1943年11月、ローズはスプリングフィールドの病院に急遽運び込まれました。またもや心臓発作に見舞われたのです。しばらく入院した後、リチャード(デビッドオ二-ルの父)が、スプリングフィールドの自宅にローズを引き取り、看病を続けました。病床にあっても、ローズの手は休むことを知りませんでした。1944年4月5日、友人が見舞いに訪れた時、ローズは彼をスケッチしています。そして、その翌日、ローズは静かに息を引き取りました。その瞬間、ローズのまわりにはたくさんのキューピーたちが飛び回っていたと、伝えられています。1944年4月6日のことでした。その日の出来事を当時8歳だったジャネットオニール・サリバンさんは、今も鮮明に憶えているとおっしゃっています。「ローズが亡くなって、自宅から運びだされようとする時、私達きょうだい3人は階段のところから下の様子をみていました。するとカリスタおばさんは(ローズの妹)、私達にその様子を見せないようにしました。彼女は、子供達にローズの死を知らせたくなかったのでしょう」
ロ一ズは、母ミミーと弟ジェミーが眠るそばに埋葬されました。世界的なキャラクターを誕生させた多彩な才能をもつ自然児、忙しく駆け抜けたその人生は、ようやく愛するひとのそばで安らかな眠りについたのです。ローズオニール69歳。ローズが平和を願った第2次世界大戦が終了する1年前の春のことです。ローズの片腕として、秘書として、共に人生を歩んできた妹のカリスタにとってローズのいない人生は、考えられませんでした。ローズの死の2年後、後を追うように天国に旅立ちました。
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